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三矢の訓 ?中巻(天賦の編)?

信長公


UFCは代謝により活きている。
それは現実的であり、健康的な体を持っている証でもある。
そんな想いの中で...である。

"あのRINGS" を今の世代の若者と共有できるような、そんなレトロフューチャー的な形態を想像していたいた私はやはり凡人である。前田日明 は、その先のRINGSを ユースカルチャーの生態系の中で、模索し、進み、あくまでその中で創造し続けていたのだ。じつに健康な思考の持ち主である。時代の代謝を汲み取れるのだろう。軽々しく名を出す訳では無く、信長もまたそうであった。自分と違なる者を異端と片づけるのは凡人の思考であり、天才の思考は風の銀河の真中にあり、届くものでは無い。

であるから、私はそういう前田日明 の思考の一辺を きっとノスタルジックに見てしまうのだろうが...あの世代を通ったが故...かもしれない。
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三矢の訓 ?中巻(評価編)?

林檎の木

ある時、南の国に、一つの林檎の絵をじっと見る男がいた。しかし、本当の林檎を見た事の無い男は、それが食べ物であろうとは思ったが、味までは勿論解らなかった。そこに林檎を食べたことの有る者が来て、初めて美味しい食べ物であると知ったが、何処にあるのかまでは解らなかった。そこに林檎売りの男がやってきて初めて北の国の木になる果物であることを知った。そして林檎売りが、その事を林檎農家に話すと、林檎農家は初めて南の国に林檎の木が無い事を知った...と云うお話があります。 (記憶が曖昧ですが凡そ)



「評価する」...私達は1日に何遍、この作業をしているだろう?
私達は生まれて今まで、記憶された様々なことを組み合わせて、全てのことに自分のピースで出来た価値観を作る。そして、その価値観をもって、実に様々なことを水を飲むように評価して止まないのである。
であるから、評価する能力とは特別な過程を踏まなくともよい、人間の能力の一つなのであるのだが...。

しかし前記したように、とあるそのものに対する価値観を保持していなければ、人は何も評価できないものでもある。さらに言えば、その価値観を作るために必要な記憶のピースが無ければ、それさえ出来ないと言うことになる。

簡単に言えば、目の前にある「見たことも無い真実」を見ても、貴方は全く評価出来ないか、若しくは途轍もなくいい加減な評価しかできないという事であるが、真実に到達できなくとも、記憶のピースが多ければ多いほど、確率的にその評価は真実に近くなると言えるだろう。

谷川貞治という記者上がりの男がいる。彼は長きに渡って「格闘技と、格闘技の世界」を見続けてきた。それは、格闘技を観戦するファンに贈るための作業だったが、長い年月の間、主観的ファンと、主体とのはざまで、客観的にピースを拾い集めてきた筈である。林檎売りのように...

三矢の訓 ?中巻(行動力編)?

カリスマ

形として存在するビジョンには必然的な行動を生じるが、ビジョンが大きければ大きいほど、そこには誠意、論し、などなど...と言った、個人の能力(が故の魅力)が絶対的効力として必要となってくる。つまり、単なる行動ではない「行動力」が、物事を推し進める鍵となる。それを人は時に「カリスマ」とも言うが、それは何も健全な人間ばかりを指し示す指標では無い。悪と向き合うような野心が人を引きつける場合もある。いや、かえって野心を剥き出しにした人間こそ真の行動力を発揮できる筈だ。
...善な人を何処までも善な人と...人は思えないのは、猜疑心という生命に関わるDNAを持っている人であるが故。であるから...。

兎も角、私は明確な野心を行動に裏付けた人間を何人か知っている。RINGS等を立ち上げた大殿「前田 日明」、嫌いで除くが「榊原 信行」、そして宗師「石井 和義」...

彼らは未だ資するに値する。

三矢の訓 ?中巻(ビジョン編)?

安土城


「ビジョン」
とは将来的な構想の事であるが、単なる煽り文句ではない。規模はどうであれ、あくまでビジョンは「目に見える形として示さねばならないもの」と考える。それがなければ、それは唯の理想であって、結果を伴わなくても良いこととなってしまう。"そこが分かれ道"なのだが...
古今...貴方は、明確なビジョンを掲げ、それを世に示した格闘技の形態を一つ挙げれるだろうか?K-1?UFC?PRIDE?DREAM?...どれも今は未だ、今を生きる術の道具であるか、道具のまま終演した。イベントであるが故に輝かしいが、ビジョンを示すほど熟せない宿命をもっている。
しかし、生まれた手は小さかったが、壮大なビジョンのもと活動していた団体があった。様々な格闘技の選手の育成と戦う場の提供、そしてそれを各参加国に委ね、統一ルールで競わせる...壮大な格闘ネットワークであったその名を

「RINGS」と云った。

三矢の訓 ?上巻?

毛利



三矢の訓

戦国時代、中国十ヵ国を一代で伐り従えた梟雄は?と聞かれて答える人は少ないだろうが、「三本の矢」と言えば、思い起こす人は多いだろう。そぅ、毛利元就が臨終の際、"三人の息子"に、"三本の矢"を以て結束を説いた有名な逸話である。ま、逸話と言っても、実際は江戸期に創作された作り話であるのだが(※元就が三人の息子に送った三子教訓状は、孫の代で実際に本家である毛利氏の存続を助けたかもしれないが、矢の話は何処にも無い)、戦前の教育現場(教書等)で用いられ、今でも広く日本人に伝わっているし、中国や欧米でも別の物語(元も恐らく別)として伝えられている。また、「三人寄れば文殊の知恵」とも言うように、実際、社会を生きていく上で何か問題を抱えたとき...1人では立ち行かない事って多くある。まして2人というのは、どちらかが1人に依存してしまったり、また2人が全く別の意思をもってしまえば、元も子もない状態になることも多分に多い。
この逸話は特に、多くの人材を抱える企業や団体には絶対的に要求されるモノだと思う。最近のNEWSを思い起こしても、大概、問題を起こした企業等のTOPは、謂わば「ワンマン社長」である。しかし彼らの成功の鍵は、他を寄せ付けない「ビジョン」「行動力」が有ったからである。ではなぜ?駄目になるのか?それは「評価」がなされないからである。良いのか悪いのか解らないまま進むから、謂わば確率の問題で、何時か失敗するのである。自己の行動を自分自身で正しく評価できる人間など恐らく居ない。たいがい人は、最低でも「大体、恐らく、多分、成功するだろう」と思う方向に行動する。「絶対、確実に、間違いなく失敗する」と思う方向に行動などしないし、出来ない。目前の断崖絶壁に僅かでも見える橋が有れば渡るが、橋など全く見えないまま進むことなど出来ない。だから彼らも、実は壊れた橋を「多分大丈夫」と思って進んで崖に堕ちていった。先の見えない橋を渡ろうとするとき、自分とは立ち位置の違う誰かが、「その橋は壊れますよ」と言ってくれる必要がある。

さてさて、前書き(能書き)が長くなったが...話は、格闘技の世界に続きます。
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iNOVEL:武夫の拵え(2010.10 〜 連載中断。なお作業はコツコツ継続中)

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