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The River

私が中学の頃、大好きだった"Bruce Springsteen"

当時、放送委員であった私は、校舎に彼の曲を響かせていた当時を思いだします(大音量でBorn In The U.S.A.を流したら叱られたっけ)。そして懐かしい友らの顔と、故郷の空や丘などを思い出します。最近はアメリカの保守層の天辺に祭り上げられた彼ですが、私は武士道の"一つの重要な原型"に近い精神性を彼には感じるのです。今回紹介する"The River"という曲は、彼曰く「義兄と妹に送る曲」なのではありますが、詩のその奥底にある自然崇拝的なスピリチュアル性が、私の心を打ってやまないのです。だからこそ、プロテスタントでは無い我々倭国人にも理解できる詩なのではないでしょうか。



The River

俺は谷の町から来たんだ
そこで生まれた若者は皆
親父の跡を継ぐように育てられるんだ
俺とメアリーが出会ったのは高校の時
彼女は17歳になったばかり
俺たちは車で新しい地を目指して
あの谷を降った...

俺たちは川を越えた
一緒に越えたんだ
あの川を越えたんだ

やがてメアリーは妊んだ
それだけは、兄貴に手紙で伝えた
俺は19歳の誕生日に、労組の組合員証とスーツを手に入れた
俺たちは役所に行き、手続きを済ませた
参列者の微笑みも、教会の式も無く
花束もウエディングドレスも無しだった

あの夜
俺たちは川を越えた
一緒に越えたんだ
あの川を越えたんだ

俺はジョンストンで建築の仕事に就いた
だけど近頃は不況で仕事が無い
大切だと思っていたこと全てが
みんな霧のように消えてしまう
俺は憶えていないふりをして
メアリーは気にしていないふりをする

でも俺は憶えている
兄貴の車を盗んで出た日のことを
彼女の日焼けた体が濡れた日のことを
夜、俺は川辺で目を覚まし
そして彼女の息を感じながら強く抱いたんだ
今は、その記憶が黄泉がえり
俺を包み苦しめるんだ
あれは叶わなかった夢だったのか?
それともこれは酬いか?
川が俺を導く
もぅ川は涸れてしまっているが
でも今夜、俺に越えろと叫ぶ
川を越えろと
小さな子と俺で
もぅ一度この川を越えろと...

和訳:buhensha

Alright !!

桜庭バカボン

DREAM.16 - Special PV vol.3
このVTR...何が良いって、桜庭バカボンが良い。夫れに尽きる。

こぅいうノリが少なかったDREAMなのだ。パパなのだ。シリアスを売りになんて出来ないのだ。パパなのだ。だってそういう枠じゃ、UFCの"うん分の一"だもの。白けて当然なのだ。パ?パなのだ。それにしてもリオンの低評価ときたらない。DREAMを支えている日本人は皆さん修斗の子、なのにだ。ぱ...。それにしてもだ、石井とミノワマンは素晴らしいカードだ。プロレスラー対柔道家というのは、単なる保守派の念仏ではなく、正当なる日本格闘技界の系譜なのだとパパは思っている。そんな選り取り見取りなビックリ箱の最後にとびだすのが、桜庭バカボン!

これでいいのだ!


雨の後、路は輝く

少年時代は素敵な道を歩む今を夢見て
今は、あの夏に夢想う
それはまるで
夢を無くしたブラウン管のようだ
だから
誰かに夢を託し、それで終いで良しとした。


雨の後、路は輝く


いつ何時までも生いてばかりは居られない
風は、そろそろ...秋
紅葉させてみたくなったのです

書きあぐねていた時代小説を描いております...



twitter_暫く遠ざかります。
blogコメントも暫く受け付けません。

今は一人で山を登りたいのです。

paradox

封建制度と儒教が相まって江戸期から庶民にも芽吹いたとされる男尊女卑(男性上位)の社会。そんな時代が数百年間、いや実刑的な不平等であるならば僅か数十年間、日本にも存在した事を盾に、今も益々盛況に女性の地位は向上している。実は、そんな思想を植え付けたのも、それを解放させたのも、海の向こうの思想なのだが...。

先日のエントリ(today)で記した言葉には続きがある。

「一樹の蔭、一河の流れ、是他生の縁と承り候が、そも、をとゝせの此よりして偕老の枕を共にして、只影の形に添ふが如くなれまいらせ候おん情こそはうれしう候へ。この頃承り候へば、主家の為め最早最後の御一戦のお覚悟の由、かげながら嬉しく思ひまいらせ候。唐の項王とやらむの虞氏、木曾義仲殿の局、さるためしは、わが身も厭はしう候、されば世に望み窮りたる妾が身にては、せめて御身御存生の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上げ奉り候、必ず必ず秀頼公多年海山の鴻恩御忘却なき様頼みまいらせ候、あらあらめでたくかしこ  妻より」

この句は、慶長20年(1615)5月6日...秀頼を主将とする大阪方に与し、この一戦に百死零生を覚悟し、己の兜に伽羅(お香)を焚き詰めて出陣した木村 重成の妻、青柳の辞世の句とされているものである。

現代女性には不理解以上に否定されるであろぅ"自己犠牲"に生きぬいた武夫(もののふ)の妻は、この句に充ちているように、女性としての矛盾を自らの徳として生き抜いたのである。それは、夫を支える家庭的な側面と、時に薙刀を振るう勇婦的(アマゾネス)な側面を同時に己に内包させるという事であるが、その両極の真中に、つねに懐刀(短刀)をしのばせるのである。そぅ、夫にのみ捧げる己の身の純潔さ(貞操)を死ぬまで、いや死んでも守る為に...。

そのような生き方を人は「内助の功」としてキチント尊んだ時代であった。勿論それは、後に武士道とよばれた武夫の主家に従う"自己犠牲"の精神と同義であったのだ。

幾百年の後、女性解放運動が当然の如く沸き上がり、女性の奴隷的地位は解放された。しかし、この句にその微塵をみることができるであろうか。キリスト教でも"信仰の量りに応じる奉仕"とされるように尊ばれ、そしてそれは自己犠牲のうえにようやく成り立っているのである。

かくして...武夫の"御恩と奉公"で創られた片割れ的な自己犠牲の世界観だけが残った。


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管理者:武辺舎
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iNOVEL:武夫の拵え(2010.10 〜 連載中断。なお作業はコツコツ継続中)

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