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Dream come true?

山中幸盛


「願わくば我に七難八苦(艱難辛苦)を与えたまえ」と三日月に拝んだという、あまりに有名な講談を素に建てられた"山陰の麒麟児"こと山中(鹿介)幸盛の像である。

8才の頃、身体に難のある兄を侮辱した者を斬ったという武士の義憤。はたまた"仮病を装い"厠から肥つぼを潜っての脱走劇。そして主家再興の旗印の為に、過去に主家に反して帰属した者を己の主に据えた事などを見れば、主従の契りを命題にしていった完成された武士道よりは、江戸初期の儒学者である山鹿素行が開拓した士道が適当のような気がする。いや、解らないが、つまり山中幸盛のそれは【純粋なる己の拠り所への渇望】であったよぅな気がするのである。
改めてこの像を見て貰いたい。彼の生涯は、正に"Dream come true"なのだが、本当の意味での彼の悲願はで備中(岡山県)辺りで閉幕するのである。

その最後の艱難辛苦となった"上月城の戦い"は尼子家再興を悲願とする山中幸盛ら一族・残党の想いと、三国に跨る要衝確保を企図しつつ彼らを庇護する織田方と、毛利方との攻防戦という二面性を持つ戦である。しかし、当時の播磨国は織田・毛利の勢力争いにより国内は複雑に勢力分断されていた。特に、三木城に立て籠もりる東播磨の雄、別所氏の攻略が急務であった織田方にとって、それを懐に差し置いての毛利氏との主力戦など出来よう筈もなかったのである。結果、上月城に籠もる尼子勝久らは自刃(幸盛が自刃させたとも)し、山中幸盛も捕縛され、彼の三度目の尼子家再興計画は頓挫したのである。

そこから毛利領の備後国(広島県)に護送途中に幸盛は殺害されるのだが、彼の最後に目にしたとされる当時の"高梁川の渡し場"が何処であったのかは解らない。しかし、現在も岡山県を南北で分断する高染川を挟んでの東岸、つまり彼が護送されてきた織田方の勢力域方向に少しだけ戻ると現在の岡山市、Uの再興を想い奮闘した"孤高の天才"の実家があるのである。
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七人の侍

「良い城というものは、必ず一か所、弱い部分がある。完璧な防御は敵に死力を尽くさせ、見方に予想外の被害をもたらす」(映画『七人の侍』)

完璧というものは、実は不完全であり、だからこそ、人はそこに不快感を持つのかもしれません。

一方的に押しかけた私に温かい言葉をかけていただき、ありがとうございます。リンクの件、恐れ多いやら、緊張します。よろしくお願いいたします。

>完璧というものは、実は不完全であり、だからこそ、人はそこに不快感を持つのかもしれません。

いいお言葉です。
それから、こちらの方こそ、心ある声を下さる事に何時も感謝しております。また、リンクの件も誠にありがとう御座います。これからも是非・是非!宜しくお願い申し上げます。
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