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ヤオヨロズの持ちたる国

 日本の戦国時代というのは武家同士の領地争いとばかり解釈されていますが、これは否であります。強く否定させて貰います。例えば室町時代というのは新興宗教が数多く起ち上がった時代であり、が故に、博学の僧らが至る処で宗論、つまり仏の教義とその解釈を展開し諭そうとしてゆきます。が、所詮は"人間業"、知的な自己主張や瑣末を講ずるのが関の山なのでありました。なぜか?

当時の多くの僧(というか殆ど)というのは様々な既得権益、簡単に言えば力を保有していました。宗論に敗れるということは万死に値した時代であったからです。故に屡々、武士や庶民を巻き込んだ宗教戦争(天文法華の乱など)が起きた時代でもありました。

現代の無神論的な日本において、「自己主張しろ」等と叱咤をする方を近年はよく見かけます。しかし、それは欧米的な宗教観や哲学に依存した時、大変な事にならないでしょうか?

自己主張というのはあくまで「攻め」であり、防衛ではありません。絶対的な価値をもった自己主張の向かう先に、世界の歴史は何を証明してくれているでしょうか?

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rascalです

こんばんは。コメント欄が復活していますので、投稿させていただきます。

吉本隆明、梅原猛、中沢新一の鼎談を収録した『日本人は思想したか』という本があります。その中で、梅原猛が大略「昔からのアニミズムと仏教は結合したんです。結合したから、今でも仏教は大きな意味を持っている。仏教は人間主義から自然主義に変わっていき、日本に来たらはっきり自然主義になった」と言っています。物にまで付喪神として神性を見る日本人の面目躍如。仏教は、本当にこの国の精神的文化の背骨のようなものです。

最近思うのですが、異なる意見を持つ人を論破しても、それはテレビドラマの最終回のようなものではないでしょうか。そこでは盛り上がっても、実際には、その後に長い長い“日常”が横たわっています。論破したことなど、その中で溶けて消えてしまいます。

最近、お通夜に参列したり、元同級生が病気で亡くなったりで、ちょっと考えるところのあった貴ブログ記事でした。






コメント誠にありがとう御座います。

rascalさんのコメントを読んでいて私も色々と_

春があって夏が過ぎて、秋が来て
さして変わらぬ日常を皆、様々に主張してゆきます。生まれてから_今も
でも死ぬまでの日常はどぅなるんでしょうね?(笑)
そんな事を思っていたら呟きたくなりtwitterに呟いてみました。宜しければご覧下さい。
http://twitter.com/#!/Thousand7

また何時かお待ちしております。
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iNOVEL:武夫の拵え(2010.10 〜 連載中断。なお作業はコツコツ継続中)

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